雑記:頭の良い子どもたち

 帰宅途中の電車の中で小学校3~4年生くらいの子どもたちと乗り合わせた。おそらく塾の帰りだと思うのだけれども、勉強をたくさんしているのだろうな~という雰囲気をまとっていた。こんな小さな頃から夜遅くまで勉強して、電車に乗って帰るなんて大変だなぁと思う。

 公共の場という意識に疎い彼らが大声でわめいているのを聞いていると、少し気になる言葉が出てくる。「偏差値」である。こいつの偏差値はどうだのこうだのと言っている。なんとも気持ちの悪い思いがした。この年頃でもう人を数字で評価する方法を覚えているとは。

 数字で評価といえばテストの点も同じではないかと思うが、僕の感覚では少し違う気がする。テストの点数はあくまでそのテストの出来具合を表しているのであって、一週間もすれば忘れてしまう。しかし、偏差値というのはその人そのものの出来具合を評価しているように感じられ、何年もの間ついてまわる。「あなたの偏差値は?」と聞きあう様はあたかも名刺を交換するが如く、最早アイデンティティをの中核を成すと言っても過言ではないように思える。

 もちろん数字というのは科学的に正しく導出されているから、何かしらを量るのに大変便利で強力な道具である。しかし、それは極限られたもの、一面的なものを表しているに過ぎないことを、ちゃんと理解していなければあらぬ誤解を生みかねない。素晴らしい人間性と才能を持った人が、偏差値の低さに悩みいらぬ心労を重ねるなど想像にたやすい。そういったことをわかるには、小学生というのは若すぎるように思うのだけれども、これは自分が彼らを見くびっているが故なのだろうか。

 僕には自分の子がいないけれども、身近にいる子どもたちには、数字では表すことのできない、人として大事にすべきことを伝えていきたいと思った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA