読書:コンビニ人間

 最近本をたくさん読む。通勤に1時間程度かかり、半分くらいは電車に乗っているので、結構いいペースで読書できる。いい本がたくさんあるので、せっかくだし読書感想文を書いていこうかと思う。

 最近読み終わったのは、「コンビニ人間」(著者:村田沙耶香)。第155回芥川賞受賞作らしい。そういえば芥川賞をとった作品を読んだことが無いな、と思い読んでみたのである。

 面白い本だった。主人公の古倉さんは特殊な頭脳を持った女性。行動の基準が合理性に支配されており、人間的な感情に疎い。マイノリティである彼女は、自らの意思をなくす(表に出さない)という合理的判断によって人間社会に適応したかに見えたが、大人になり、より複雑さと曖昧さを増していくヒトの村社会で異分子となっていく。多くの選択肢があり無限の情報が錯綜する現代であっても、「こうするのが普通だ」という常識に当てはまらないのは最早病気であり、果たすべきとされる義務を行わないのは罪なのだ。

 そんな古倉さんが見出した、自分が生きる場所がコンビニである。完全にマニュアル化され、合理性に支配された空間。画一化された売り場、決められた行動、ヒトではなく店員が求められる職場。外から来た客の動きさえ、アルゴリズムによって処理できてしまえる。読んでいるうちに、僕たちの生活に深く溶け込んでいるコンビニが人間性とかけ離れた性質をもって存在していることに気づき、少し寒気を感じた(ちょっと大げさだな)。古倉さんにとっては、これ以上に自分の才能を発揮できる場所はない。いわれた通りに実行し、マニュアルを遂行する。利益を上げるというシンプルな目的に対する合理的行動は何であれ歓迎される。まさに天職であろう。そして、コンビニは存続するために、生物のように代謝する。いつの間にか商品が入れ替わり、人が入れ替わる。店員として異質である人間は排除される。けがや老い、不真面目は排除の対象だ。コンビニというシステムに異物があってはならない。

 最早神なのである。コンビニという、合理性のもとに完成されたシステムを、信仰の対象とまでしてしまう。しかし、それも一面的なものに過ぎない。コンビニを形作るのは人間だ。そこには常に人間性が存在し、支配している。何かをきっかけにそれが表出したとき、コンビニはヒトの村社会に何ら変わりない場所になってしまう。そこでは店員が異物となってしまうのだ。

 長くなるのでこれくらいにするが、自分的にはこんな感じの内容だったなと思う。久しぶりに読書感想文を書いたけど、なかなか難しいな。どうにもスマートにいかない気がする。これから練習して上達していけばいいかなと思う。疲れた。